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ずっとどこかに記しておきたいと思いつつ、月日が流れてしまいましたが、昨年9月に澁澤龍彦邸へ。城戸朱理さんと桂子さんご夫妻が、知のラビリンスへと導いてくださり。大変、大変お世話になりました。

 

 

学生時代に『悪魔のいる文学史』に出会い、こんな世界を紐解いている人がいるのかと衝撃を受け、淡々と明確に記されるも、なぜか情の深さのようなものを感じる、文藻の豊かさにとても引き込まれたことを記憶していて。自分が今まで興味がなかった分野について書かれていても、興味深く読み進めることができるのは、凄いことだと思っていました。たとえば、『胡桃の中の世界』や『城=カステロフィリア』、研究者という視点よりも軽やかで自由な視点と感性で語られている。私は澁澤さんの少年のこころを感じる小説がとても好きですが、遠い世界を想い馳せるような、時に移ろう出来事の儚さや切なさのようなものを、胸に刻んでゆく物語が面白い。澁澤龍彦さんと同じ時代を生きた文学者や表現者は、知性こそが生きる力であるかのような、哲学や思想、文学、宗教、美術、化学、心理、あらゆる分野に存在する言葉を自分の魂に刻みながら書いていただろうと思うのですが、澁澤龍彦さんは子どものような無邪気さで、魂から放たれる強烈な世界を、上手に面白そうに語る。きっと澁澤さんに語られることがなかったら、存在しなかったこととして、価値のないものとみなされ、埋もれてしまっていただろう作家や作品、秘められた世界。

 

 

久ぶりに訪れた鎌倉は修学旅行生や観光客で、賑わいでいましたが、少し離れるととても静か。生茂る緑とその香に包まれて、ひっそりと佇む澁澤邸。扉を開いて迎えてくださった澁澤龍子さんのやわらかな笑顔で、緊張がほぐれる。夕食前だから簡単にと、お酒に合いそうな美味しいお料理をたくさんご用意くださり、飲めないわたしは食べるばかりで、パクパク。圧倒的な雰囲気に気持ちがソワソワしていましたが、澁澤さんの書斎に入ると、胎内にいるかのような、不思議な包容力を感じました。伺ってはいましたが、どの部屋も澁澤さんが過ごされていたままの状態で時が止まっています。机の上には書きかけの原稿がそのまま。ふっと澁澤さんが帰ってきて続きを書きだしそうな状態でした。

まるでタイムスリップをして、その時代に私が今生きているような錯覚を覚える。それほど力強く時間を引き留めている印象でした。それは資料館などでは実現することはできず、それを可能にしているのは龍子さんの強い意志なのだろうと思います。今私は澁澤さんに出会っている、と感じることができる空間。書棚には、もしかしたらこういう本を澁澤さんは読んでいたのかな?と思っていたジャンルの本などが並んでいて、澁澤さんの声を聴くようでもありました。数時間の出来事でしたが、とても大切な体験となりました。

 

 

元日からの震災、航空機事故と続き、多くの人たちが耐えがたい状況に身を置いて生きることとなり、今も抱えきれないほどの喪失感と、寒さと不安と空腹と渇きを体で受け止めているこの現状に、どうか道を。光を。ぬくもりを。